『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について44

舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について
第五章 省筆について
 鷗外は豊太郎が手記を書くにあたり、『舞姫』において「いで、その槪略を文に綴りて見む」と意気込んで書いたものである。「槪略」と書いているのだから、無駄な部分は極力削り取られているはずである。
 しかし、これに対して忍月は堂々と批判をしてきた。

一、『舞姫』評
 忍月にしてみれば、この物語は「恋愛か功名か」に主眼があるので、豊太郎の履歴などは不要に思えたのである。
 『舞姫』評では、次のように言う。「次ぎに本篇二頁下段「余は幼なきころより厳重なる家庭の教へを受け云々」より以下六十余行は殆んど無用の文字なり、何となれば本篇の主眼は太田其人の履歴に在らずして恋愛と功名との相関に在ればなり。彼が生立の状況洋行の源因就学の有様を描きたりとて本篇に幾千の光彩を増すや本篇に幾千の関係あるや予は毫も之が必要を見ざるなり」と。

二、「気取半之丞に与ふる書」による反論
 しかし、これには鷗外も憤慨した。「気取半之丞に与ふる書」では「足下の太田生が性質を説き玉ふ段に至りては、則ち更にこれより甚しきものあり。足下の云く。本篇二頁下段、余は幼なきころより厳重なる家庭の教を受け云々より以下六十余行は殆無用の文字なり。何如といふに本篇の主眼は太田其人の履歴にあらずして、恋愛と功名との相関にあればなり。彼が生立の状況、洋行の原因、就学の有様を描きたりとて、本篇に幾千の光彩を増すか。本篇に幾千の関係あるか。予は毫も之が必要を見ざるなりと。僕は已に舞姫の光彩ありや否やをだに知らず、これを増すべき字句のありやなしや、能く知るかぎりにあらねど、此六十余行を分析すれば、一として太田生が在欧中の命運に関係せざるものなし。先づ太田が出身、学位を受くること、官命を帯びて西に航すること、叙して十一行中に在り。これなくば誰か太田の何人なるを知らむ。次の三行には航西の途を叙したり。こゝまでにて太田が母の事、明に見ゆ。これなくば誰か太田が母の死を聞きて伯林に留まる心を解せむ。伯林の境を叙すること十九行。此熱閙の状富麗の景なくば、後の寂寥荒漠の天地は遂に伯林の本色とや思はれむ。これより下二十九行は太田が公命を帯びたる性質を略叙して、忽ち又これを撤去したり。彼が政治家法律家を以て自ら居らずといふ処は、其「ロマンチック」的生活に傾く張本ならずや。太田生の履歴が一篇の主眼にあらずといふも、太田の履歴なくば誰か彼が遭遇を追尋することを楽まむ。さるを毫も其必要を見ずといふ」と書いた後で、「其妄三つ」と加えている。
 豊太郎の履歴は、鷗外が相当心をくだいたところであろう。鷗外自身は医学部だが、豊太郎は法学部に入学させている。これは通常の官僚としての道を歩ませるのに、適していると考えたからだろう。豊太郎の優秀さを強調することで、官長の期待と「まことの我」が顕れてからの落胆の落差が大きいのとは無関係ではなかろう。
 忍月が無用とした部分は、『舞姫』にとって欠く事ができない部分であり、『舞姫』のテーマにも深く関わっている。忍月は、物語の面白さを求めすぎて、『舞姫』の真の姿を見誤ったとしか言いようがない。

三、そもそも豊太郎の履歴の必要性について
 そもそもこの手記は豊太郎が自分のために書いているものである。そうであれば、論理的には、自分の履歴は当然わかっているはずだから書き起こす必要性があったのか疑わしい。しかし、前節でも明らかなように「これなくば誰か太田の何人なるを知らむ。次の三行には航西の途を叙したり。こゝまでにて太田が母の事、明に見ゆ。これなくば誰か太田が母の死を聞きて伯林に留まる心を解せむ」というように、自分のために書いている手記だという前提を忘れているか、反故にしている。自らの解説によって、せっかくの前提やテーマを損ねかねない発言をすることは残念だが、しかし、次の章で明らかにするが、自分のために書いている手記だからこそ、この履歴が必要なのである。『舞姫』という小説はそのように書かれているのである。『舞姫』を書いた時の書き手の心理を、舞姫論争の中で見失っていることは、真に惜しいことである。