2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について7

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 忍月が最初に話題にしたのは、主人公についてであるが、その境遇に配置したのは「小心なる臆病なる慈悲心ある‐‐勇気なく独立心に乏しき一個の人物」である、ということにある。ここには忍月の不満が表れている。 そ…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について6

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 三.主人公について 先の『舞姫』の趣向の続きで、すぐに主人公の事を取り上げている。と言うよりも、始めから主人公を話題にしていたのである。 「舞姫」の意匠は恋愛と功名と両立せざる人生の境遇にして此境遇に処…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について5

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 二、忍月の考える『舞姫』のテーマ 忍月が『舞姫』に読み取った主題は、「「舞姫」の意匠は恋愛と功名と両立せざる人生の境遇にして……」である。文章の途中ではあるが、ここには、まず「舞姫」の意匠(通常は趣向、…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について4

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 第二章 「舞姫」(気取半之丞)……鷗外『舞姫』に対する石橋忍月の論理 石橋忍月が「舞姫」を國民之友(第七十二號)に気取半之丞の名で発表したのは、明治二十三年二月三日のことだった。 この時、忍月はいわゆるエ…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について3

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 第一部 舞姫論争の経過 第一章 舞姫論争の経緯 忍月論争は次のような経緯を追っている。なお、その間に顕れた舞姫評の中でも注意すべきものを括弧内に示した。 ・森鷗外 『舞姫』 明治二十三年一月三日 國民之友第六…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について2

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について はじめに これまでに『『舞姫』‐主人公・太田豊太郎の年齢と年立てについて』、『『舞姫』‐「まことの我」について』を発表してきたが、本稿をもって『舞姫』論三部作を閉じることとする。 すでに前二作により、これ…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について1

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 凡例 ・「『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について」は『鷗外全集第一巻』(森林太郎、岩波書店、昭和四十六年十一月二十二日発行)所収の『舞姫』、及び、第二章で掲げている、それぞれの文献を底本としている。 本…

『舞姫』第二論 「まことの我」論41

『舞姫』第二論 「まことの我」論 二、「まことの我」を「偽」とするもの 私は一方で「まことの我」は「偽」の要素ももっていたと考えている。 それは前節で説明したように、「まことの我」はエリスと出逢うための仕掛けに過ぎなかったのではないか、という…

『舞姫』第二論 「まことの我」論40

『舞姫』第二論 「まことの我」論 第八章 再々「まことの我」について考える 一、「まことの我」を「真」とするもの すでに述べてきたように、「まことの我」はいわゆる近代的自我ではない。そのような問題意識を持って森鷗外が『舞姫』を書いたとは到底思え…

『舞姫』第二論 「まことの我」論39

『舞姫』第二論 「まことの我」論 最後は天方伯から日本に一緒に帰る気はないかと問われた時、「若しこの手にしも縋らずば、本國をも失ひ、名譽を挽きかへさん道をも絶ち、身はこの廣漠たる歐洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起」こってし…

『舞姫』第二論 「まことの我」論38

『舞姫』第二論 「まことの我」論 なお、ここでも制度内自我の内的行動規範の側面から、豊太郎の天方伯に対する返答の態度を考察すると、その枠内にあることは言うまでもないと思う。豊太郎の制度内自我の内的行動規範においては、「卒然ものを問はれたると…

『舞姫』第二論 「まことの我」論37

『舞姫』第二論 「まことの我」論 この語りの重要性を別の側面で考察することにする。この語りが船上からの考察によるものであるとしても、物語内時間において「友に對して否とはえ對へぬ」というのはその時点での事実であることが重要なのである。それに続…

『舞姫』第二論 「まことの我」論36

『舞姫』第二論 「まことの我」論 相澤にとってはこの豊太郎に示した前途の方鍼(ほうしん)は明々白々なのだが、豊太郎にとっては「大洋に舵を失ひしふな人が、遙なる山を望む如き」ものだった。この「大洋に舵を失ひしふな人」とは、豊太郎の現在の生活状態…

『舞姫』第二論 「まことの我」論35

『舞姫』第二論 「まことの我」論 ホテルの食堂で、相澤は豊太郎の話を聞いた後に「前途の方鍼(ほうしん)」を示す。それはほぼ二点に集約される。第一点は、天方伯の信用を得よというものである。原文を引用すれば「今は天方伯も唯だ獨逸語を利用せんの心の…

『舞姫』第二論 「まことの我」論34

『舞姫』第二論 「まことの我」論 しかし、身支度が整い「これにて見苦しとは誰れも得言はじ」と言った後に、その豊太郎の姿を豊太郎に見るように鏡に向かせて「かく衣を更(あらた)め玉ふを見れば、何となくわが豐太郎の君とは見えず」と言った時に、エリス…

『舞姫』第二論 「まことの我」論33

『舞姫』第二論 「まことの我」論 これを豊太郎にあてはめれば、三年もの大学の自由の風に吹かれたために、日本にいた時の「制度内自我」から「ドイツ・ベルリンの大学における制度内自我」に、自我の本質ではなく、自我を取り巻く制度が変わったことで「制…

『舞姫』第二論 「まことの我」論32

『舞姫』第二論 「まことの我」論 三.「まことの我」と近代的自我 戦後の読者が、『舞姫』の「まことの我」を近代的自我の目覚めと読み取ることは、時代的に自然だったとは推量できる。無意味な戦争に向かった人々は「器械的人物」だったのだろう。「官長」…

『舞姫』第二論 「まことの我」論31

『舞姫』第二論 「まことの我」論 以上の考察から、矢崎氏は『舞姫』に近代自我という言葉を用いているが、これと自然主義派における近代自我との相違を際立たせるために使っているに過ぎないように思われ、両者の違いを指摘するのが主眼であろう。矢崎氏の…

『舞姫』第二論 「まことの我」論30

『舞姫』第二論 「まことの我」論 ここに至って、矢崎氏は『舞姫』における太田の自我のありように疑問を持つ(もちろん、最初から疑問をもち、文の流れでそう書いているに過ぎないが)。「太田の自我は、自然主義作品の人物のごとく、分裂の惱みをもたぬので…

『舞姫』第二論 「まことの我」論29

『舞姫』第二論 「まことの我」論 ただ、矢崎氏は太田が心の底では功名を望んでいるとは考えていないようで、天方伯から自分と一緒にロシア・ペエテルブルクに行く気はないかと問われた後を次のように記す。 ともかく、太田は天方伯から隨行と飜譯を命ぜられ…

『舞姫』第二論 「まことの我」論28

『舞姫』第二論 「まことの我」論 『舞姫』の主題を「この少女との戀情による自我の習俗への抗爭」としている点は、石橋忍月の「功名か恋愛か」とは、表現としては異なるもののその意味するところはほぼ同じと考えていいだろう。だが、矢崎氏の「少女との戀…

『舞姫』第二論 「まことの我」論27

『舞姫』第二論 「まことの我」論 二、矢崎弾と近代自我、特に『舞姫』に関して 近代的自我という言葉の発生については、私はその端緒を確認することができなかったが、「近代自我」については、矢崎弾(一九〇六年二月一日‐一九四六年八月九日)氏の『近代…

『舞姫』第二論 「まことの我」論26

『舞姫』第二論 「まことの我」論 少しく冗長な説明になってしまったが、近代国家を創る礎となった社会契約論ないし社会契約説の立場(同じ社会契約論ないし社会契約説といっても、その内容はいくつかの点で様々である)からすると、一個人に主権があると考…

『舞姫』第二論 「まことの我」論25

『舞姫』第二論 「まことの我」論 これに対するのが、社会契約論(私が学生の頃には「民約論」とも呼ばれていた)というものであり、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、一七一二年六月二十八日 ‐一七七八年七月二日)が 、一七五五年に発表し…

『舞姫』第二論 「まことの我」論24

『舞姫』第二論 「まことの我」論 一、近代的自我 日本において「近代的自我」がどのように使われ出したかは、私には確認できなかった。私には「自我」と「近代的自我」とが同義とは思えないが、世界史的に見た場合に、近代において「自我」が使われ出した時…

『舞姫』第二論 「まことの我」論23

『舞姫』第二論 「まことの我」論 第七章 再び「まことの我」に対して考える 冒頭で、本論を進めるにあたり、「まことの我」について考えてみた。そして、それを二つに分類し、 『(一)「まことの我」を「真」とするもの』と『(二)「まことの我」を「偽」とす…

『舞姫』第二論 「まことの我」論22

『舞姫』第二論 「まことの我」論 二十、良友への憎しみに変貌する「人知らぬ恨」 ブリンヂイシイの港を出て二十日あまりを經て、セイゴンの港に到着した時、豊太郎は他の乗客が下船して陸のホテルに泊まるのに、ひとり船に残る。 それは、自分を悩ませてき…

『舞姫』第二論 「まことの我」論21

『舞姫』第二論 「まことの我」論 十九、豊太郎、ベルリンを離れる 豊太郎がベルリンを発ち、陸路を行く間、「 此恨は初め一抹の雲の如く我心を掠めて、瑞西(スヰス)の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせず」にいたのである。主語に「此恨は」と…

『舞姫』第二論 「まことの我」論20

『舞姫』第二論 「まことの我」論 十七、相澤の義務と贖罪 エリスが倒れた責任を相澤は感じていたことだろう。おそらく、あらゆる手を尽くして、専門医をエリスの家に呼び、その症状を聞いたことだろう。その答えが、もはや治癒の見込みのないパラノイアであ…

『舞姫』第二論 「まことの我」論19

『舞姫』第二論 「まことの我」論 十六、豊太郎のもとに相澤が訪ねてくる 豊太郎が人事不省に陥り、ホテル・カイゼルホオフに姿を見せないとなると、友として相澤は心配になり、豊太郎のもとを訪れる。そこはなんとエリスの家であり、エリスを見れば身重であ…