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五、再、気取半之丞に与ふる書
 鷗外は「再、気取半之丞に与ふる書」において、「主人公は重要主宰の地位に立つが故に人物若くは身分職業を以て小説の題名となすときは、主人公若くは主人公の身分職業を撰ぶべしと。僕は大声疾呼して天下の小説家と詩人とに告げむ。詩を賦せむとするものも、小説を編まむとするものも、是れよりはいと心安き世の中とこそなりにたれ。一篇の成る毎に、題名は早く既に移動すべからず。早く既に論理的の結果として定まりたり」として、忍月の論を進めれば、題名は「主人公若くは主人公の身分職業」を選ぶべきであるとすれば、自動的に題名は決まってしまうではないか、これは論理の結果としてそうなるのであると批判している。

六、結論
 題名に対する忍月の論は、無理がある。
 忍月は最初は、鷗外の『舞姫』はエリスが陪賓であるから、その職業をして『舞姫』と命題するのは不当だと言っていたのであるが、鷗外は「再、気取半之丞に与ふる書」で、「小説は必ず之に題するに主人公の名若くは其資格を以てすべし」というように、微妙に論点をずらしている。しかし、忍月はこの論点のズレを知ってか知らずか(わからなかったのだろう)、「小説もし人物を以って題号とせば必ず主人公を撰ぶ可し」というように確定してしまった。鷗外が忍月を「立法者」だというのはこのような点を指しているのである。しかし、「小説もし人物を以って題号とせば必ず主人公を撰ぶ可し」というテーゼが無理筋なのは、鷗外にはわかっている。わかっていて、そのテーゼを引き出したのである。
 この議論は忍月も鷗外も一歩も引かなかったために、つまらない例示の応酬に終始した。その例示の件は個別に見ていけば、それなりに面白いが、ここでは意味がないので総括しない。

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舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について
第三章 『舞姫』という題名について
 全体的に「舞姫論争」は、この鷗外が付けた『舞姫』という表題が適切なものかどうか、というやり取りにほぼ終始する。

一、『舞姫』評における忍月の主張
 忍月は『舞姫』評の中で言う。「而して本篇の主とする所は太田の懺悔に在りて舞姫は実に此懺悔によりて生じたる陪賓なり。然るに本篇題して舞姫と云ふ豈に不穏当の表題にあらずや。」
 『舞姫』は「太田の懺悔」が主であって、舞姫はその陪賓である。なのに本篇に舞姫という題名をつけるのは、まことに不穏当の表題ではないのか、というのが忍月の最初の主張である。

二、「再、気取半之丞に与ふる書」における鷗外の主張
 これに対して、鷗外は「再、気取半之丞に与ふる書」において、「足下の題号に就ての意見によれば、小説は必ず之に題するに主人公の名若くは其資格を以てすべしといふ歟、然らずば小説に題するに人物を以てせば此人物は必ず主人公なるべしといふことゝなるべし」と書いている。

三、舞姫三評
 忍月は「舞姫三評」において「小説もし人物を以って題号とせば必ず主人公を撰ぶ可し、其理由別に喋々弁するを要せず、何人にも分りきッたる理窟なり、主人公ハ全篇を支配し全篇に貫流するものなり、全篇に透染して分離すべからざるものなり、中央政府より万機の政出づるが如く、主人公より全篇 (ブランクママ)の人事人情行為運動ハ出づるものなり、彼ハ焼点の地位に立ち最も切に同感を読者に惹起せしむ、果して然らば人物を以ッて小説の題名となさんと欲せば、重要主宰の地位に立つ主人公を捨てゝ将た何をか撰ばん」と語る。

四、舞姫三評(続)

 忍月は「舞姫三評(続)」においてもこの話題を持ち出している。「人物題に主人公を撰ばざる可からざることハ実に言はずとも分りきったる明々白々の理屈なり、相沢氏足下、足下如何に婉曲附会の文字を綴りて舞姫の著者を弁護せんとするも著者の心中豈に信に足下の弁護を快よく思はんや、足下の説が是なるか僕の説が是なるか請ふ之を足下の友人に聞け、知人に聞け、内君に聞け、皆な足下の説を無理の理屈と謂ふべし、著者欧(ママ)外氏と雖もエリスを以って主人公なりと云ふに非ざる以上ハ、命題の不穏当を悟りて僕の説を是とせらるべしと信ず」
 忍月は自分が作ったテーゼに沿って、人物題に主人公を選ぶのが筋である以上、著者鷗外氏といえども、エリスが主人公でなければ『舞姫』と付けた題名は不穏当であることを悟って僕の説を肯定すべきであると信じると言い切っている。半ば、意地になっている感じである。


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舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について
二、四変する豊太郎
 忍月にすれば、あっちではこう言っているのに、こっちでは違うことを言っているように思うかも知れないが、鷗外は四変する豊太郎については「気取半之丞に与ふる書」で詳細に説明しているので、ここでは繰り返さない。
 一般的に人は状況に合わせて変わるのが普通だから、豊太郎の感情や考え方も変わっていくのは、ごく自然なことである。
 また、鷗外は説明していないが、豊太郎の手記は、五年前の物語内時間の行動と現在、セイゴン港に停泊している船中で書いている手記上の、当時(物語内時間)の考え方や行動とは異なって、当然、手記を書いている時点での考察が入ってくる。豊太郎の書く手記には二つの時間が流れていて、その間の描写の違いも当然ある。
 例えば洋行の官命を受けて横浜港を出港する際に始めは「五十を踰(こ)えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々と家を離れてベルリンの都に來ぬ」と書いている。ここで注目したいのは、「さまで悲しとは思はず」という言葉である。五年前の記憶ではそうなのだが、後でよく考えると違っていたのである。「まことの我」が顕れてから「舟の横濱を離るゝまでは、天晴豪傑と思ひし身も、せきあへぬ淚に手巾を濡らしつるを我れ乍ら怪しと思ひしが、これぞなか〳〵に我本性なりける」という具合に変わっている。「さまで悲しとは思はず」どころではなく、「せきあへぬ淚に手巾を濡らしつる」なのである。いくら記憶に齟齬があるといっても、ここは矛盾している。忍月は、このような矛盾を突けば良かったのであるが、そうはしなかったのである。「まことの我」が顕れる前後で、豊太郎の考え方が変わっているのである。忍月は単純に矛盾としたが、合歓の木の例にしても、もっと質すべきだったのである。
 例えば、最初はベルリンに来て感動した後に、「されど我胸には縱ひいかなる境に遊びても、あだなる美觀に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき」と書いているが、後には「餘所に心の亂れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇氣ありしにあらず、唯外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ」に変わっている。似たような事を書いているようで、この二つの意味合いは全く異なる。前者を能動的とすれば、後者は受動的である。
 忍月が豊太郎の態度の変化を質するなら、このあたりを対象とすべきであったと思うが、忍月の『舞姫』の読みの中に「まことの我」が深い意味を持っているとは思ってはいないので、鷗外にとってすぐに説明のつきそうなところで、忍月の問いは留まってしまったのだろう。

三、豊太郎という主人公について
 ここからは「舞姫論争」から離れるが、『舞姫』を理解するのに必要だと思うから、敢えて書く。
 『舞姫』を読んでいると、豊太郎という主人公の造形が最初で、次にエリスが造形されたと思いがちだが、私は逆で、エリスが最初に造形されて、それに応えるように豊太郎が造形されたと思っている。
 エリスの登場の仕方も、その性格、性質、境遇の説明も、物語内の流れの中に溶け込んでいる。一方、豊太郎の方は、忍月に指摘されているように、その履歴について、ナレーションのように説明される。
 エリスが貧困層に設定されたのに対して、豊太郎はいわば富裕層に設定されている。これでは二人が出逢うことがない。そこで、「まことの我」が出てきて、まず二人を出会わせる。次に、より二人を近づけさせるために、豊太郎は免官・免職になり、かつ母までも失う。これで、いよいよ二人は近づいただけでなく一緒に暮らすようになる。
 『舞姫』においては、エリスの設定がまず行われて、それにあうように豊太郎が設定されたという方が自然である。そして、エリート官僚がエリスに交差するように、「まことの我」という仕組みを作り出したと考えると、『舞姫』はすんなりと理解できる。
 この場合、豊太郎は線の細いエリート官僚でなければならず、その線の細さ故に折れてしまうと修復が利かない。そのように造形される必要があったのである。

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第二章 主人公について
 主人公を論じる時に、通常は一般論から入り、個別の議論になるところだが、舞姫論争では、豊太郎という個人の性格・性質から論じて、やがて一般も論ずるという経過を取っている。
 ところが、忍月は豊太郎の性格・性質を論じた後、その性格・性質とやっていることが矛盾しているのではないか、という疑問を投げかける。
 当然、鷗外も反論に出る。

一.忍月の主張と鷗外の応酬
 忍月の豊太郎の印象は「小心なる臆病なる慈悲心ある‐‐勇気なく独立心に乏しき一個の人物」に尽きる(この点に関しては、鷗外も承認している)。忍月はこのような人物を『舞姫』において主人公にしたことを残念に思っているが、それはいったん棚上げにして、その主人公の性格・性質とその振る舞いの矛盾に対して、激しく論じる。
 忍月の主張は、該当箇所で詳述したので簡略に説明すれば、「太田なるものは恋愛と功名と両立せざる場合に際して断然恋愛を捨て功名を採るの勇気あるものなるや。曰く否な、彼は小心的臆病的の人物なり。彼の性質は寧ろ謹直慈悲の傾向あり。理に於て彼は恩愛の情に切なる者あり。「処女たる事」(Jungfraulichkeit)を重ずべきものなり」であり、これには鷗外も同意しているが、その「ユングフロイリヒカイト」を尊重している豊太郎であるのにもかかわらず、「可憐の舞姫と恩愛の情緒を断てり、無辜の舞姫に残忍苛刻を加へたり、彼を玩弄し彼を狂乱せしめ終に彼をして精神的に殺した」のは、豊太郎の性格・性質と、実際にやっていることに矛盾があるという主張である。
 鷗外自身も『舞姫』を書いている時には、この忍月の主張と似たことを考えたのに違いない。直接的に豊太郎とエリスが対決する場面を設定すれば、自ずといずれかが倒れなければならない。「気取半之丞に与ふる書」では、「太田は弱し。其大臣に諾したるは事実なれど、彼にして家に帰りし後に人事を省みざる病に罹ることなく、又エリスが狂を発することもあらで相語るをりもありしならば、太田は或は帰東の念を断ちしも亦知る可らず。彼は此念を断ちて大臣に対して面目を失ひたらば、或は深く慙恚して自殺せしも亦知る可らず。臧獲も亦能く命を捨つ。况や太田生をや」とまで書いている。
 それを避けるために、鷗外は豊太郎をして人事不省に陥らせたのであり、その間にエリスをパラノイアにしたのである。こうなれば鷗外にとっては、事情が違うことになる。「処女を敬する心と、不治の精神病に係りし女を其母に委托し、存活の資を残して去る心とは、何故に両立すべからざるか」ということであり、豊太郎の性格・性質と行為に矛盾がないと説明する。
 だが、この説明にはやや無理があるように思われる。もともと「ユングフロイリヒカイト」を尊重することと恋愛(一応「真の愛」と言い換えてもいい)と同じではないはずであるが、忍月はともかくとして、鷗外もそう思っているのは、私には不思議に思える。本来、この点も議論すべきであったと思う。まして、豊太郎がエリスの「ユングフロイリヒカイト」を奪うことになったのも、免官・免職と母の死が同時に生じたためであり、行為自体も豊太郎の恍惚の間に行われている。そうであれば、豊太郎にエリスの「ユングフロイリヒカイト」を得る(奪う)という確信的意思があったわけではないことになる。「ユングフロイリヒカイト」を尊重し、平常心の中で確信的にエリスの「ユングフロイリヒカイト」を得る(奪う)というのであれば、そのことに最後まで豊太郎は責任を持つべきである。しかし、実際はそうではないのであるから、本来、どこかでそのことをエリスに言わなければならなかったはずである。もし、私が忍月であったなら、この点を問い質したことだろう。確信的にエリスの「ユングフロイリヒカイト」を得る(奪う)ということではなかったが故に、豊太郎のエリスへの愛は本物ではなかったのである。謫天情仙の「太田は真の愛を知らぬ者なり」という言葉は、この点をついているので鋭いのである。「気取半之丞に与ふる書」において、「太田生は真の愛を知らず。然れども猶真に愛すべき人に逢はむ日には真に之を愛すべき人物なり」と書いているのは、恍惚の間に得た「ユングフロイリヒカイト」に対する解釈としてならば、釈然とするものがある(なお、現代では「ユングフロイリヒカイト」にはそれほどこだわらないので、この議論も読者にはわかりにくいかもしれない)。
 しかし、忍月のこの点に対する反応が鈍いか、そのこと自体がわからないかのいずれかで、議論が進まなかったのは『舞姫』に対して惜しい気がする。
 はっきり言うが、忍月は『舞姫』を真に理解してはいない。「恋愛か功名か」というテーゼについては、何よりも「恋愛」が成立していないのだから、このような定立が成り立つわけがないのである。

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舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について
第二部 「舞姫論争」とは何であったのか。「舞姫論争」が取り残したもの。
 第一部では、忍月と鷗外の論争のやり取りをほぼ再現しつつ、適宜講評を加えた。第二部では、この論争にいて考察したところを述べることにする。

第一章 「舞姫論争」の展開
 最初の忍月の「舞姫」では、①忍月の考える『舞姫』のテーマ、②主人公について、③主人公の履歴について、④『舞姫』におけるヒロインについて、⑤『舞姫』という題について、⑥「屋上の禽」について、⑦「飢え凍えし雀の落ちて死にたるも哀れなり」について、⑧結果的に鷗外を評価している、というように、後の論争に比べれば幅広く論点をとって論じている。
 これに対して、「気取半之丞に与ふる書」では、自己紹介の部分を除けば、①表題に対する反論、②舞姫に対する反論、③六十余行を無用としたことに対する反論、④太田豊太郎の性格・性質についての反論、⑤主人公の性質について、⑥「豊太郎の人物と境遇と行為は支離滅裂である」ということに対する反論、⑦太田は真の愛を知らぬものなり、⑧太田は、真に愛すべき人に逢はむ日には真に之を愛すべき人物なり、⑨屋上の禽は造語である、というように気取半之丞名義の「舞姫」評に対して、言葉を尽くして応えている。
 これを整理してみる。
 まず、忍月の①の『舞姫』のテーマについては、忍月は深く考えていないようであるが、鷗外はそうではなかった。「気取半之丞に与ふる書」では、『舞姫』のテーマに関わると思われる「⑦太田は真の愛を知らぬものなり」と「⑧太田は、真に愛すべき人に逢はむ日には真に之を愛すべき人物なり」というように、テーマに関することとは、ずれているようではあるが、ここに『舞姫』のテーマの本質があるのである。
 ただし、忍月に発する「恋愛か功名か」ということに対して、鷗外は『舞姫』を、恋愛をとるか功名をとるかなどという物語としては書いていないにもかかわらず、忍月が勝手に『舞姫』のテーマを「恋愛と功名と両立せざる人生の境遇にして」いずれをとるべきか、という問題に置き換えたにすぎない、と本当は反論すべきであるがそうとは言わずに、鷗外自身は、謫天情仙の評を取り上げて、これを「舞姫評中の雋語*1となす」と書くに留めている。これは、つまるところ、忍月の設定した「恋愛か功名か」というテーマについては、特に反論をしなかった、というより、その必要性を感じなかったのに違いない。忍月が『舞姫』の主題を取り違えたに過ぎなかったからである。そして、鷗外も「エリーゼ問題」を抱える中、そこに焦点が当たることを避けたかったのではないか。これについては後で検討する。
 次に忍月の②主人公については、鷗外は④太田豊太郎の性格・性質についての反論と⑤主人公の性質について、においてそれぞれ論じている。
 忍月の③の主人公の履歴について、であるが、これは忍月が無用としたものであり、鷗外のとしては、③六十余行を無用としたことに対する反論、で対応している。
 忍月の④「舞姫」におけるヒロインについて、は表題と同様に、鷗外を憤慨させたものの一つであろう。鷗外は②舞姫に対する反論、で対応している。
 忍月の⑤「舞姫」という題について、は最後までもつれた議論になった。鷗外としては、『舞姫』という題を否定されることは、『舞姫』そのものを否定されたも同じだったのではないか。
 忍月の⑥「屋上の禽」について以降は『舞姫』に関わることであっても、小さな事であるから、これからの論点からは外す。
 以上により、第二部で論じるのは、一、主人公について 二、『舞姫』という題名について 三、陪賓及びエリスについて 四、省筆について 五、『舞姫』のテーマについて、それぞれ論じることにする。
*1雋語 シュンゴ 優れた言葉、ここでは「評」の意。

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舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について
第十五章 舞 姫 三 評(続)

人物題にハ主人公を撰ばざる可からざることハ実に言はずとも分りきったる明々白々の理屈なり、相沢氏足下、足下如何に婉曲附会の文字を綴りて舞姫の著者を弁護せんとするも著者の心中豈に信に足下の弁護を快よく思はんや、足下の説が是なるか僕の説が是なるか請ふ之を足下の友人に聞け、知人に聞け、内君に聞け、皆な足下の説を無理の理屈と謂ふべし、著者欧(ママ)外氏と雖もエリスを以って主人公なりと云ふに非ざる以上ハ、命題の不穏当を悟りて僕の説を是とせらるべしと信ず、 (ブランクママ)目前に石を出して木なりと強弁し鹿を出して馬なりと争論するが如き愚なる事件に貴重の紙白を塡むるハ僕が甚だ嫌ふ所なり、
        (「江湖新聞」第七十号)
【意訳】『人物題に主人公を選ばなければならないのは実に言わずとも分かりきった明々白々の理屈である。相沢氏、貴殿いかに婉曲附会(歪曲、こじつけ)の文字を綴って舞姫の著者を弁護しようとするも著者の心中、どうして信に貴殿の弁護を快く思うだろうか。貴殿の説が是なるか僕の説が是なるか請う、これを貴殿の友人に聞け、知人に聞け、内君に聞け、皆貴殿の説を無理の理屈と言うだろう、著者欧(ママ)外氏といえどもエリスをもって主人公であると言うのでなければ、命題(題名)の不穏当を悟って僕の説を是とされるべしと信ずる。目前に石を出して木なりと強弁し鹿を出して馬なりと争論するがごとき愚なる事件に貴重の白紙を埋めるのは僕が甚だ嫌うところである。』

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第十六章 再、気取半之丞に与ふる書 其五
 其五は、忍月の再評三評四評等を受けてのものである。

 其五。足下の所謂再評三評四評等は高架低架幾条の軌路に汽車の競争するを見る如し。憾むべし、僕が待つ所の他の諸妄に対せらるゝ論は未だ来らず、又彼重複論の至るに逢ひたること。
 僕は今に至りて知得たり、足下の所謂重複は尋常文家の所謂重複に非ざること猶忍月居士が罪過説のアリストテレエス以下の罪過説に非ざるごとくなるを。足下は盖反応を以て重複となしたり。「コントラスト」を以て重複となしたり。近く例を取らば、佐藤六石氏が九十九里の歌を取りて一誦せよ。瑠璃汗慢、長望際なく青山白鷺、夕日掩映の景は忽ち変じて坤軸震盪、連山駭立の状となる。同一の人、同一の舟、此間に点綴し得て、其姿致極なきにあらずや。舞姫は拙作なり。而れどもその初に伯林富麗の景を叙して、後に凄惨の境となしたるは、これと相似たり。是れ反応にして重複にあらず。彼太田が留学の事は前後に出でたれど、前には得意、後には失意、其写法おなじからず。其他足下の挙げたる所概皆此類なり。既にして又曰く。此富麗熱閙の状を写して、伯林が啻に寂寥荒漠の天地のみならぬを知らせんとの御所存のよし。異なる哉言。小説豈此の如きものならむや。太田生が居留の地、経歴の地の光景を漏さず写さゞる可からざる必要あるかと。敢て問ふ誰か詩中の人物の経歴の地を漏さず写すべしと云ひしを。若しかく言ひし人なくんば、これや無用の弁なるべき。太田が伯林の晴景と雪景とを叙したりとて、彼已に夏と冬とを叙したり、冬を主とする物語ならば、何故に夏を叙したるかといふ如きは、詩を説かむものゝ言に似ず。東坡が日諭もおもひ出でられて果敢なし。不普通にして普通の思慮を以て推すべからざる人とは誰が事ぞ。将又真赤になりて怒るものは何人ぞ。
【意訳】『その五。貴殿のいわゆる再評三評四評等は高架低架幾条もの路線に汽車が競争するのを見るようなものである。残念である、僕が待つところの他の諸妄説に対する反論はいまだ来ず、またあの重複論にあってしまったこと。
 僕は今に至って知り得た。貴殿のいわゆる重複は尋常文家のいわゆる重複にあらざること、なお忍月居士が罪過説のアリストテレエス以下の罪過説にあらざるようであることを。貴殿はけだし(まさしく)反応をもって重複となした。「コントラスト」をもって重複となした。近くに例を取れば、佐藤六石氏が九十九里の歌を取って一誦せよ。瑠璃汗慢、長望際なく青山白鷺、夕日掩映の景はたちまち変じて坤軸震盪、連山駭立の状となる。同一の人、同一の舟、この間に点綴し得て、その姿極めているではないか。舞姫は拙作である。しかれどもその最初にベルリンの富麗の(素敵な)景色を叙して、後に凄惨の境となしたのは、これとよく似ている。これ反応にして重複ではない。あの太田が留学の事は前後に出たけれど、前には得意の時であり、後には失意の時である。その書き方も同じではない。その他貴殿の挙げたところ概ね皆この類いである。すでにしてまたいわく。この富麗熱閙の状を写して、ベルリンがただに寂寥荒漠の天地のみではないのを知らせようとの御所存のよし。異なる哉言。小説はどうしてこのようなものであろうか。太田生が居留の地、経歴の地の光景を漏らさず写さなくてはならない必要あるかと。敢えて問う。誰か詩中の人物の経歴の地を漏らさず写すべしと言ったのかを。もしかく言った人なければ、これや無用の弁なるべきである。太田がベルリンの晴景と雪景とを叙したとて、これらは夏と冬とを叙述したのに過ぎない。冬を主とする物語ならば、何故に夏を叙したかと言うごときは、詩を説こうとするものの言に似ず。東坡が日諭も思い出されて果敢ではない。不普通にして普通の思慮をもって推すことができない人とは誰が事ぞ。まさにまた真っ赤になって怒るものは何人ぞ。』