日記

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について18

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 六、主人公の性質について 小説の主人公がいかなる性質を持っていたとしても、その性質をもって作品を書くならば、どのような性質の主人公をもってしても良いのではないか。ここでは、シェイクスピアのハムレットと…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について17

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について (三)友に対して否とはえ対へぬが常なり 『舞姫』を読んで、読者(読み手)が途惑うのは、次の箇所ではなかろうか。 「わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、姑(しばら)く友の言に從ひて、この情綠を斷たんと約…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について16

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について (二)四変する豊太郎の心情 『舞姫』では、豊太郎の心を描くのに、その順番通りには叙述していない。ある事柄が述べられれば、その時の豊太郎の心情を描いているのである。従って、事柄が順番通りなら、わかりやす…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について15

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 五、太田豊太郎の性格・性質についての反論 豊太郎の性格・性質についての反論部分は、長くなるので区切って説明する。 (一)われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり 『舞姫』本篇の主題の基調となっているものに、…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について14

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 四、六十余行を無用としたことに対する反論 題に対して、鷗外はさんざん批判しておきながら、矛を収める。 然りと雖是等は皆鷗外漁史が杜撰なる命題より起りしことなれば、僕は足下に向ひて深く責めむと欲せず。 【意…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について13

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 三、舞姫に対する反論 『舞姫』についての批判は、鷗外はよほど腹にすえかねたようで、再び話題にしている。 足下は又舞姫の文盲痴騃にして、識見なく志操なきを見て望を失ひたり。敢て問ふ小説の表題に取られし人物…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について12

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 二.表題に対する反論 その後、忍月の評を次のように引用して「妄なるかな評」と酷評している(ほぼ、引用なので意訳は省く)。 足下のいはく。予は客冬舞姫といへる表題を新聞の広告に見ておもへらく。是れ引手あまた…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について11

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 第三章 気取半之丞に与ふる書(相澤謙吉)……忍月の『舞姫』評に対する鷗外の反論 忍月の「舞姫」については、鷗外は相澤謙吉の名を借りて「気取半之丞に与ふる書」を書いている。 一、自己紹介 鷗外は忍月が作中の人物…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について10

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 九.結果的に鷗外を評価している 批判はしてきたものの、忍月は最大級の褒め言葉で『舞姫』を締めくくっている。 依田学海先生国民之友の附録を批して曰く「舞姫」は残刻に終り「拈華微笑」は失望に終り「破魔弓」は…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について9

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 六.『舞姫』という題名について ヒロインに続き、やり玉に挙げているのは『舞姫』というタイトルである。 而して本篇の主とする所は太田の懺悔に在りて舞姫は実に此懺悔によりて生じたる陪賓なり。然るに本篇題して…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について8

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 四.主人公の履歴 忍月は主人公がベルリンに留学して一乙女エリスと出会ってからのことが、物語本筋であるから、主人公の生い立ちからベルリンに洋行するようになる経緯は、ほとんど無用であると考えている。 従って…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について7

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 忍月が最初に話題にしたのは、主人公についてであるが、その境遇に配置したのは「小心なる臆病なる慈悲心ある‐‐勇気なく独立心に乏しき一個の人物」である、ということにある。ここには忍月の不満が表れている。 そ…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について6

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 三.主人公について 先の『舞姫』の趣向の続きで、すぐに主人公の事を取り上げている。と言うよりも、始めから主人公を話題にしていたのである。 「舞姫」の意匠は恋愛と功名と両立せざる人生の境遇にして此境遇に処…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について5

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 二、忍月の考える『舞姫』のテーマ 忍月が『舞姫』に読み取った主題は、「「舞姫」の意匠は恋愛と功名と両立せざる人生の境遇にして……」である。文章の途中ではあるが、ここには、まず「舞姫」の意匠(通常は趣向、…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について4

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 第二章 「舞姫」(気取半之丞)……鷗外『舞姫』に対する石橋忍月の論理 石橋忍月が「舞姫」を國民之友(第七十二號)に気取半之丞の名で発表したのは、明治二十三年二月三日のことだった。 この時、忍月はいわゆるエ…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について3

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 第一部 舞姫論争の経過 第一章 舞姫論争の経緯 忍月論争は次のような経緯を追っている。なお、その間に顕れた舞姫評の中でも注意すべきものを括弧内に示した。 ・森鷗外 『舞姫』 明治二十三年一月三日 國民之友第六…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について2

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について はじめに これまでに『『舞姫』‐主人公・太田豊太郎の年齢と年立てについて』、『『舞姫』‐「まことの我」について』を発表してきたが、本稿をもって『舞姫』論三部作を閉じることとする。 すでに前二作により、これ…

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について1

『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について 凡例 ・「『舞姫』‐いわゆる「舞姫論争」について」は『鷗外全集第一巻』(森林太郎、岩波書店、昭和四十六年十一月二十二日発行)所収の『舞姫』、及び、第二章で掲げている、それぞれの文献を底本としている。 本…

『舞姫』第二論 「まことの我」論41

『舞姫』第二論 「まことの我」論 二、「まことの我」を「偽」とするもの 私は一方で「まことの我」は「偽」の要素ももっていたと考えている。 それは前節で説明したように、「まことの我」はエリスと出逢うための仕掛けに過ぎなかったのではないか、という…

『舞姫』第二論 「まことの我」論40

『舞姫』第二論 「まことの我」論 第八章 再々「まことの我」について考える 一、「まことの我」を「真」とするもの すでに述べてきたように、「まことの我」はいわゆる近代的自我ではない。そのような問題意識を持って森鷗外が『舞姫』を書いたとは到底思え…

『舞姫』第二論 「まことの我」論39

『舞姫』第二論 「まことの我」論 最後は天方伯から日本に一緒に帰る気はないかと問われた時、「若しこの手にしも縋らずば、本國をも失ひ、名譽を挽きかへさん道をも絶ち、身はこの廣漠たる歐洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起」こってし…

『舞姫』第二論 「まことの我」論38

『舞姫』第二論 「まことの我」論 なお、ここでも制度内自我の内的行動規範の側面から、豊太郎の天方伯に対する返答の態度を考察すると、その枠内にあることは言うまでもないと思う。豊太郎の制度内自我の内的行動規範においては、「卒然ものを問はれたると…

『舞姫』第二論 「まことの我」論37

『舞姫』第二論 「まことの我」論 この語りの重要性を別の側面で考察することにする。この語りが船上からの考察によるものであるとしても、物語内時間において「友に對して否とはえ對へぬ」というのはその時点での事実であることが重要なのである。それに続…

『舞姫』第二論 「まことの我」論36

『舞姫』第二論 「まことの我」論 相澤にとってはこの豊太郎に示した前途の方鍼(ほうしん)は明々白々なのだが、豊太郎にとっては「大洋に舵を失ひしふな人が、遙なる山を望む如き」ものだった。この「大洋に舵を失ひしふな人」とは、豊太郎の現在の生活状態…

『舞姫』第二論 「まことの我」論35

『舞姫』第二論 「まことの我」論 ホテルの食堂で、相澤は豊太郎の話を聞いた後に「前途の方鍼(ほうしん)」を示す。それはほぼ二点に集約される。第一点は、天方伯の信用を得よというものである。原文を引用すれば「今は天方伯も唯だ獨逸語を利用せんの心の…

『舞姫』第二論 「まことの我」論34

『舞姫』第二論 「まことの我」論 しかし、身支度が整い「これにて見苦しとは誰れも得言はじ」と言った後に、その豊太郎の姿を豊太郎に見るように鏡に向かせて「かく衣を更(あらた)め玉ふを見れば、何となくわが豐太郎の君とは見えず」と言った時に、エリス…

『舞姫』第二論 「まことの我」論33

『舞姫』第二論 「まことの我」論 これを豊太郎にあてはめれば、三年もの大学の自由の風に吹かれたために、日本にいた時の「制度内自我」から「ドイツ・ベルリンの大学における制度内自我」に、自我の本質ではなく、自我を取り巻く制度が変わったことで「制…

『舞姫』第二論 「まことの我」論32

『舞姫』第二論 「まことの我」論 三.「まことの我」と近代的自我 戦後の読者が、『舞姫』の「まことの我」を近代的自我の目覚めと読み取ることは、時代的に自然だったとは推量できる。無意味な戦争に向かった人々は「器械的人物」だったのだろう。「官長」…

『舞姫』第二論 「まことの我」論31

『舞姫』第二論 「まことの我」論 以上の考察から、矢崎氏は『舞姫』に近代自我という言葉を用いているが、これと自然主義派における近代自我との相違を際立たせるために使っているに過ぎないように思われ、両者の違いを指摘するのが主眼であろう。矢崎氏の…

『舞姫』第二論 「まことの我」論30

『舞姫』第二論 「まことの我」論 ここに至って、矢崎氏は『舞姫』における太田の自我のありように疑問を持つ(もちろん、最初から疑問をもち、文の流れでそう書いているに過ぎないが)。「太田の自我は、自然主義作品の人物のごとく、分裂の惱みをもたぬので…